長男が生まれたときはソフトウェア会社で地方中堅のシステム会社に派遣されて働いていた。
妻の会社は大手介護福祉施設で産休・育児休業はしっかり1年あった。今考えるとシステム会社は大きかった。
残業はほとんどなく、18時くらいに退社して家族円満な生活を送ることができた。
タガが狂い始めるまでは、妻の育児休業が終わってからもなんとかやりくりした。
妻が保育園の送り迎えをできないときは私が行った。
妻は自転車なので、雨が降った時は私が協力した。
そうこうしているうちに仕事が忙しくなった。忙しいというか、それから出る錆びみたいなのを落とす仕事が派遣である私に向けられた。
肺気胸になるまで働いた。
誰かが労働基準監督署にタレこんだり、上司が変わったり、私が肺気胸になってから周りが変に気を使ったり、コンタクトレンズがはめられなくなったり、煙草を辞めたり、様々な環境の変化が起こったが時はすでに遅し。
すでに次の職場は見つかっていた。
肺気胸で入院したときの看護師さんはかわいかったし、送別会は私が以前働いていた鉄板焼き屋でやったり、悔いなく会社を去ることができた。
次の職場でバリバリ働かないといけない理由もあった。二人目の子供が妻のお腹にいた。
仕事はソフトウェア開発とネットショップの運営だった。
当初はソフトウェア開発メインだったが、いつのまにかネットショップの運営もするようになった。
最初はショップの管理や簡単なデザインだったが、忙しいときには受注・発注も行うようになった。今でもとある仕入れ先の電話越しの声は覚えてる。
サビ残の多さのことを考えると「前の職場のほうがなんて幸せだったんだろう」と思うことがあるが。
ゆくゆくはネットで稼ぐことを考えると、この職場もアリだったんじゃないかと思う。
そうそう、商品の梱包や法人の配達も手伝った、法人営業のサポートとか。何でもやった。
以前からアフィリエイトで雀の涙ほどの報酬があった。ネットショップ運営のあまりに杜撰な一コマを垣間見て、私の人生の中では一コマに過ぎないと思う。
これなら自分でも稼げそうだと思った。
まあ、それは浅はかだったとのちに思い知らされることになるけど、当時はそんなことを考える余裕もなかった。
そうこうしているうちに長女の産休・育児休業が終わった。
私は次なる職に就いた。知り合いが防犯工事をしていて、その手伝いだった。
コメント